オレたちの「深夜特急」~ 中国編 陽朔 2 ~

高鬼

b3.jpg陽朔での僕らは毎日結構アクティブだった。
それは、観光地であるが故に見るべきものが多かったということもあったが、観光地でありながらも田舎だったためか、中国特有のぼったくり主義が前面に押し出されていなかった事もあるだろう。若干すれてはいるものの、根は悪くなさそうなフレンドリーな商売人が多かったので、陽朔では街をうろうろしやすいという事があった。


また、普通の人たちが、悪い商売人をまねてにわかぼったくりのこすい商売なんかをしていなかったことも、陽朔の町が動きやすかった理由だと思う。

僕達は、到着翌日にうろうろした結果、宿の近くにあるうまい饅頭屋を発見した。ここは、おかんとその子供であろう姉妹の女性だけで切り盛りしているお店で、肉汁溢れるうまい小籠包と、皮がぶりぶりのこれまたおいしい水餃子を出してくれる店だった。僕らは陽朔にいるほとんどの朝食をそこでとり、小籠包と水餃子をかわるがわる食べた。そして姉妹にジェスチャーや筆談でアホなことを言って(書いて)笑わせるのが常になった。

夕食には、市場にあるぶっ掛け飯屋(定食屋)を見つけた。この店は皿にご飯を盛ってもらったものをもって、おばちゃんに、たくさんある鍋の中から、自分の好きなおかずを指差して皿に乗せてもらい、最終的にはおかずの種類や数によって料金を支払うシステムになっていた。

これが結構おなか一杯になるくらい頼んでも5元ほどにしかならず、値段は安いが結構うまかった。という事で、この飯屋にも毎晩のように通った。僕はおばちゃんに「ご飯を大盛りにして!」といつもゼスチャーで頼んでは笑われていた。

そんな感じで町をうろうろして、食事をするところを見つけた初日の僕らは、郊外の川べりに出たときに、テレビなどでおなじみの、桂林と同じ様な切り立った黒っぽい岩山を初めて見た。それはまさに水墨画・山水画の世界だった。かすんだ大気の中に浮かび上がるその変わった形の山々は、僕らの目を釘付けにした。

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翌日、僕らは宿を変わった。最初の宿はシャワーが使えないという情報を別の日本人から得たからだ。陽朔は内陸だったからか寒く、温水シャワーが満足に使えないのはきつい。また前の宿は、何故か深夜に近所の中国人の方々が大声で叫んだり、子供がダッシュしたりしていて非常にうるさかった。そこで、近くにあった偽ユースホステル(名前はユースホステルだが、ユースホステル協会に加盟はしていない偽ユース。こんな偽ユースは結構アジア各国にあった。)に移ったのである。

ただ、温水シャワーは完備されていたが、ここのシャワールームは窓ガラスが破れていた。タンク式湯沸かし器からお湯が出ているうちはいいが、湯量が減って湯温が下ってくると、シャワールーム内には激しい寒風が吹き込んできた。そうなった時には僕は、「きあーーーいっ!」などと絶叫しながら洗いのラストスパートをかけた。早くシャワーを完了させないと、ぬるま湯が冷水になってしまう。そうなると地獄のような冷たさで体は凍りついてしまう。更に、無事温水でシャワーを終えた後も、速攻で体を拭かないと寒風に晒された体はこれまた凍えそうになる。偽ユースホステルのシャワーも結局はそんな代物だった。

宿を移った後の僕らは、日中は公園をうろうろしたり、山の景色を眺めに川へ行ったり、そして夜は満足な暖房もない部屋の寒さに震えながら、布団をかぶりつつ友人に手紙を書いたりした。そしてこの頃、誕生日を迎えていた僕は、師に、プレゼントとしてビールをもらった。もうおっさんではあったが、異国で祝ってもらう誕生日とプレゼントはとても嬉しかった。

ただ、「飲んでくれ師よ!」という師の言葉にもかかわらず、僕はそのビールを飲む事が出来なかった。そのビールは、その日の極寒の中、寒さに特別弱い僕にとって、体を凍えさせる飲み物と化していたからである。

「ありがとう。でも、すまん師よ。もうちょっと暖かい日に飲ましてもらうよ。」そういうと師は「折角冷えてる奴を買ってきたのに。」と笑いながら言った。

僕は「こんな寒い日にこんなキンキンに冷えたビールを飲ませるなんて、俺を殺す気かよ。」と笑いながら言った。

次の日は快晴だった。だから僕達はレンタルチャリを借りてユエリャンシャン(月亮山)と言うところに行くことにした。安いけどぼろいチャリを二人キコキコこいで約9キロ。美しい山並みの見える川沿いを走りっていくと「CAVE」(洞窟)の文字が。

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確かユエリャンシャン近くには洞窟があるとガイドブックに書いてあったがどうやらここのことらしい。で、ちょっと寄ってみる事にした。

入り口が分からずうろうろしているとガイドが登場した。といっても観光客目当ての、にわかガイドだ。洞窟内は道がややこしいので案内がないといけないというのだが、1時間の行程で40元もする。僕らの安宿なら4泊もできる金額だったのでガイドを雇うのは断念した。ただ、別のガイドと話しをして、ガイド無しで中に入るだけならかなり安い料金になったので、折角だからちょっと入ってみることにした。

ただ、洞窟内には電気がなかった。実はあったのだが、ガイドしか分からないように巧妙に隠してあったのだ。その洞窟はその電気をつけながら奥へ進むシステムになっていて、懐中電灯しか持たない僕らは大きくスタックした。が、運よく前方にガイドつき西洋人を発見、それになんとなくついていくという反則技で奥へと進んでいった。ただ、すぐに行き止まりになった。先の交渉時、その先は経路を知らなければあとで戻るのが難しいと言われていた為に、その先に行くのは断念した。

今思えばこの洞窟内のことをほとんど覚えていない。行くなら全額払って全て見ておくか、行かないなら全く行かなかった方が良かったのではなかったかと、今でも思い出すたびに思う。

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洞窟を出た僕らは月亮山をバックに写真を撮った。
後ろの穴が開いてる山が月亮山。

その後、月亮山(ユエリャンシャン)に登る。この月亮山、山の中腹に月の形でドカーンと穴が開いていることからその名前がついているのだが、この穴から桂林の山々が見えて非常にきれいだった。


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山に登るのが結構きつかったが、このきれいな景色で完全にその苦労も払拭された。景色を十分に堪能した僕らは、その後山を降りたのだが、そこには物売りのおねーチャン達が、うまい具合に!?冷たい飲み物を持って待っていた。

しかし僕らは、貧乏バックパッカーの必需品、「ペットボトルに入った水」を携帯していた。「だからいらないよ。」というと、おねーちゃんたちは「それはぬるい。でも、こっちはとても冷たい。だから全然おいしいよ!」みたいなことを言う。

「でも、俺たちはこのぬるい水が好きなんだ」みたいなことを言うと、彼女達は「あんたたちほんとにけちだわね。」といった呆れ顔をして笑った。

そして、商売をあきらめた彼女達は、純粋に外国人に対しての興味を持って、僕たちに話しをしてきた。片言の英語と筆談で僕らは話しをした。

そのときの師と僕は、お互いにロンゲだったのだが、これは当時の中国ではすこぶる評判が悪かった。男なのに長髪なのは彼らには許せないようだった。確かに日本でもしばらく前にはそんな感じだったから、中国がそうであるのは全く理解できた。

そんな訳で彼女達も一様に、「何であんた達は男なのに、そんな女みたいな頭をしてるの?」と顔をしかめながら言ってきた。「日本じゃ、そんなにおかしいことじゃないんだけどね。」と言うと、彼女達は信じられないといった顔をした。

更に、どことなく風貌の似ていた僕らを「あんた達兄弟なの?」と言った。僕らはそれを聞いて「そんなに似てるかな?」と笑った。ただ、実は日本に帰国してその時撮った写真をおかんに見せたら「あんたら、兄弟みたいに見えるな。」と言われたのだが・・・。

そんな会話の中、僕はここ最近の疑問だった、夕食時になると中国人が僕らに「ミシミシ」というのがなぜかを聞いてみた。すると彼女達は第2次大戦下の日本の兵隊がよく言っていた言葉だと言う。ああ、「飯!飯!」という言葉のことなんだと、このとき初めて気づいた。

僕は10代だか20代だかの彼女達がそんな言葉を知っていることに驚き、それがおじいちゃんおばあちゃんから日本兵の傍若無人の行いと一緒に語り継がれていると知って、当時の日本兵はこんな時代になっても語り継がれるような、そんな酷い事をやはりしていたのかと、少し暗澹たる気持ちになったのを覚えている。

そして彼女達は、その言葉はあまりいい言葉ではないと言った。どうもその「ミシミシ」と言うのは、日本人を馬鹿にするときの言葉らしいのである。僕はその後、この言葉を聴くたびに、ちょっとイヤーな感じがするようになった。

ただ、彼女達も僕らも、そんな話しをしても深刻な感じや、凄く嫌な気はしなかった。彼女達もその当時に生きていた訳ではないし、僕もその当時の日本兵はそんなことをしたかもしれないけど、今の日本人でそんなことをしようとする奴や思っている奴は、たくさんではないと説明した。

ただ、彼女達は最後まで僕らのロンゲに納得いかなかったようだ。「切りなさいよ!」と別れ際にも言われた。

物売りのおねーさんたちと別れた僕らは、再びチャリンコをこぎこぎ町まで帰り、ユエリャンシャンチャリツアーは終了した。

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次の日は前日の疲れを癒す為に朝はゆっくりした。その後、ブランチを食べる為にうろうろしていたのだが、山の景色を見たくなってふらふらとまた川べりに行った。

するとへんな中国人の兄ちゃんが英語で話しかけてきた。つたない英語同士でなんだかんだかなり長い時間話しをしたら、兄ちゃんは「飯はどうするんだ?」みたいなことを聞いてきた。

「ああ、俺に飯をたかろうとしてるな。」とすぐに思ったが、まあ、たまにはそんなのに乗ってみるのも悪くないなと思って、一緒に飯を食いに行くことにしてみた。

兄ちゃんが連れて行ってくれた飯屋は、一度行ったことのある飯屋だった。だからそんなに費用はかからないだろうと思ったが、この兄ちゃんここぞとばかりなのかどうなのかいろんなものを頼む頼む。ご飯はお代わりまでしている。

更に昼間からきっつい米酒まで頼んで、腹いっぱい&酔っ払いに。支払いはなんと宿泊費数日分になってしまった。自分は、この旅で宿泊費を基準にぼったくられ価格を決めていたので、この昼食の宿泊費数日分には、かなり後悔の念と凹み気分を抱いたのだが、今思えばあのメニューの豪華ラインナップと酒、そして兄ちゃんへの少なくないであろうキックバックが入っていたと考えると、妥当だったような気もする。

確かに日本円にすると大したことはない金額ではあった。が、長期旅行を敢行するつもりだった自分には、宿泊数日分の出費は当時はやはりショックだった。

という事で、米酒ですっかり悪酔いし、思わぬ散在にショックを受けた僕は、フラフラになりつつ部屋に戻り、夕方なのにもかかわらず寝た。そんな中帰ってきた師は、僕が余程ぼったくられてショックだったと思ったようだ。

が、実はそれよりも、酔っ払ったのと体調不良で気分が悪かった方が強かったのだ。この日は陽朔最後の日、明日は出発だ。海外での移動日に体調が悪いのは非常にやばい。体を回復させる為に寝ておかねばいけないくらい、その時の僕は調子が悪くなっていたのである。

ただ、夜になって起きた僕は、師と別れる最後の夜を名残惜しさ一杯で遅くまで語り明かした。二人とも、口に出しはしなかったが、2週間近く一緒にいた状態から、再び一人きりになるのが心細かったに違いない。

僕らは取り留めのないことについて、いつもにはないくらい饒舌に話し合った。

ただ、翌日の師の出発は結構早かった。師もまた次の旅は激しい長時間の列車の旅だ。そんな訳で、名残惜しくはあったが少し早めに寝ることにした。

ただ自分は、昼寝が過ぎたのと、相変わらず胃腸の調子が悪かった。その夜は腹の痛みにエビ寝になりつつ、中々寝られずに苦しんだ。

次回、陽朔その3(師との別れ)につづく。

この記事は、リンクコラムになっており、記事中に出てくる熊猫師(師)のブログ、「BBB」Baseball馬鹿 Blogでは、彼の視点から見たアジア旅行について書いています。僕の記事と内容がリンクする事もあり、楽しんで頂けると思いますので、

こちらをクリックして頂いて、是非ご覧下さい。

「BBB」の オレたちの深夜特急シリーズはこちらからもどうぞ


※このアジア旅行は1996年から1997年にかけてしたものです。現在の各地の現状とは大きく違うと考えられますので、旅行者の方の情報源とは成り得ないと思います。ご注意下さい。

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Posted by高鬼

Comments 2

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熊猫刑事  
おぉ!

懐かしいなぁ。
しかも、オレは既に人民解放軍のズボンはいてるよ。
師の写真の保存状況いいね。

それとも、この写真は補正してるのかな。

しかし、陽朔編、引っ張るねぇ。


そうそう、実は今日ケータイをウチに忘れていて、「ゲロ プロジェクト」について返信できない状況だ。
宿については追って連絡するよ。

2007/01/29 (Mon) 12:20 | EDIT | REPLY |   
ふらいんぐふりーまん  
確かに

はいてるねえ、人民解放軍ズボン。
しかしあのズボン、ダサかったなあ。(笑)

ちなみに、写真は1枚ずつマメに、色調調整とかしてるよ。そのままだと退色したり変色してるんで、PC画面で見るのは辛いからね。

ま、補正しても古い写真だという年輪は明らかに現れてるけど。(笑)

なお、陽朔編は次回でラスト。まあ、ここは俺的にいろんなネタがあったところで良く覚えてるんだよね。

ちなみにこの後の旅は、あまり覚えてなくて書くことないかも。(苦笑)


なお、「プロジェクト ゲロ」については今日中に連絡してくれ。よろしく!

2007/01/29 (Mon) 16:13 | EDIT | REPLY |   

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  • 2007.01.27 (Sat) 08:34 | 「BBB」