鬼飛(おにとび)ブログ
パラグライダーで飛んでるおっさんの雑記ブログです

オレたちの深夜特急 タイ出国、フィリピンマニラでトランジット

 朝4時に起床した僕は、シャワーを浴び、カオサンにある旅行代理店、MPツアーの前へと向かった。


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 このMPツアーで、空港までの外国人向けミニバスのチケットを手配したのだが、この後僕は、二度とここを使わなくなった。

 まず、日本語で対応できることを付加価値にしたからなのか、ただがめつかったのか、この店の料金は、英語しか通じない安チケット屋より全然高かった。

 それはまだいい。僕が二度とこの店に行かないと思ったのは、ここの経営者の日本人店長が、この時に僕が託した熊猫刑事宛の手紙を、どうやら開封して読んでいたらしいと、後に師に聞いたからだ。

 まず最初、そんな手紙は知らないと彼は言ったようだ。しかし師が、「そんなことはない。本人が託したと確かに言っていた。」と食い下がると、その後しばらくしてしぶしぶ差し出してきたようだ。受け取った手紙は、既に雑に封が開けられていたという。その事を師が指摘すると、彼は「なんでだろう?」などそらとぼけたらしい。

 最低の話しだった。その後何度も僕はカオサンに行ったが、実際その店には二度と行くことはなかった。

 (ネット情報によると、MPツアーはネット時代の潮流に乗り遅れたり、日本人経営の競合他社が至近に出来たことなどがあって、2011年に閉店したようです。)

 話は脱線したが、空港行きのローカルバスのバス停は、カオサンから結構離れていた。インドの太鼓などアホな土産を買ったために結構な荷物持ちとなっていた僕は、離れたバス停まで歩くのが嫌で、また、朝の超ラッシュ及びローカルバスの頻繁な停車で空港への到着が大幅に遅れることを恐れて、カオサンの通りから出る旅行者用の空港行き専用ミニバスをチョイスしたのだった。その選択は間違いではなかった。

 ミニバスは結構快適で、途中とんでもない人出で賑わう朝市の風景を見たりしながら、思っていたよりは早く、無事に空港に到着した。空港ロビーはなぜか韓国人の団体客と、中国系の旅客で多くが占められていた。チェックインをし、その後そこそこ余っていたタイバーツを、日本円に両替することにした。

 両替所のおねえちゃんはすごく態度が悪く、お金を数えようともせず、1000円札を出して横を向く。これ以上の日本円の小銭などは出さないつもりらしい。もちろん、余っているタイバーツを返す気も毛頭ないらしい。

 僕は怒った。「ここでは両替しない。俺のカネを返してくれ。」そう僕は言った。するとラッキーな事に、最初渡した372バーツから、なんと8バーツ増えて380バーツになって戻ってきた。「ねーちゃん。真面目に仕事をして、まずは両替商らしく、最初にお金を数えることをオススメするわ。本来ならこの程度の小銭は返すべきところやけど、おねえちゃんのその最悪の態度に応えて頂いときます。」と心で言いつつ、僕は他の両替所で両替を済ませたのだった。

 そして実家に帰国について留守番電話を入れた。家族はおかんの看病に行っているらしい。できるだけおかんのことは考えないようにしていたが、このような形で現実をまざまざと感じると、また極端に不安になってくる。おかんは一体どうなっているんだろうか・・・。

 フライトは朝の8時半。フィリピンエアのスチュワーデスさんはめっちゃ綺麗だった。濃い味のいかにも南国といった感じのフィリピン料理らしい機内食を食べ、約3時間後の昼頃にフィリピン・マニラに到着した。

 むちゃくちゃに暑い。ここマニラで一泊して、明日の便で日本へ帰国する予定なので、とりあえずこの日泊まる安宿を探すことにした。

 ツーリスト・インフォメーションで聞くと、ドミトリーで80ペソの安宿があると言う。荷物が多いのでバスではなく、タクシーで行くことにして乗り場で料金を聞くと、案の定というかなんというか、200ペソとか150ペソとか、ツーリスト・インフォメーションで聞いた相場の50ペソから大きく乖離した、いかにも空港にいるタクシーらしいぼったくり価格を提示してきた。

 そこで僕は、空港の外側へとドンドン移動していった。最終的には、フィリピンの女の人と同乗する形で乗り合いタクシー?に乗って、市街にある安宿へと向かったのだった。

 宿にチェックインした後、街をウロウロすることにして半パンに履き替え、街へ出かけた。マニラはとにかく暑い。バンコクなど比べ物にならないくらい暑い。ジプニーが走りまくり、そこかしこで車は渋滞しているが、街は非常に活気づいていた。

 ただ、歩いて行く先々で、僕のドレッド頭が珍しいのだろう、フィリピンの人達は僕を穴が空くほどガン見してきて、その後笑うのだった。もう勘弁してくれ、というくらい遠慮も何もなく見まくって、そして激しく笑う。「みるなっちゅうねん!!」と叫んでやろうかと思うくらい彼らは僕のことを見てくるのだった。

 その後、海を見ようと思い地下鉄で向かったのだが、降りる駅を間違って終点まで行ってしまい、再び戻って来てエルミタ地区をウロウロした。海沿いの道では観光客向けなのか、馬車のおっさんとボートのおっさんに捕まって散々勧誘された。それらから逃げ更にウロウロするうちに、僕はすっかり歩きまわるのに疲れてしまった。そして安宿へと戻ったのだった。

 既に夕食時になっていたので、宿近くのファーストフード系中華料理店に入った。魚料理を食べようと思ったのだが無くて、香港テイストを思わせる中々美味しいワンタンメンを食べた。ただ、この店では僕にとってなかなかきつい事が起こった。

 相変わらず、どこででも僕のドレッドヘアは注目と嘲笑の的だったが、この店では容赦することを知らない子供から、激しい攻撃を受けることになったのだ。

 まず、僕を見た子供は大きな声で母親を呼んだ。「あのおっさんめっちゃ変な頭してんで。」多分タガログ語であろう言葉で彼は叫んだ。もちろん、僕はタガログ語を理解しないが、子供がそんなことを言っていただろうと確信すらできるレベルでそう思った。おもいっきり僕の方に指を指し、叫んだ子供は大きな口を開けて笑っていた。

 呼ばれた母親の方も僕を見た。日本なら、「そんな指さしたりしたらあきません。」とおかんは言うものだ。が、驚くことにその母親も子どもと同じく指を指し、大声で「ほんまや、あのおっさん、めっちゃ変な頭してんなあ。」みたいなことを言いながら、子供に負けないくらいの大声で笑うのだった。

 さすがにこのあからさまな攻撃には僕も恥ずかしいと思った。が、「まあいい。笑いたいなら笑え。」と平静を装い、食事を済ませて店を出た。そして麺一品だけでは物足りなかったので、別の店に入ったのだった。
 
 その店は飯屋というより、飲み屋といった感じだった。たくさんのおっさん達がサンミゲルビールをあおっていた。僕は、ボラボラライス(確かそんな風な名前だったと思う。)というのと、サンミゲルビールを注文した。

 出てきたのは、甘酢あんかけの肉団子のようなものが乗っかったご飯だった。中華風でまずまず美味かった。これとサンミゲルを飲み、僕は十分に満足したのだった。

 なおこのお店、店のおねーさんがめっちゃ綺麗で更にスタイル抜群だった。笑顔と同時に出来るエクボがとても可愛かった。おっさんは彼女に完全に見とれてしまい、「ベトナムのディスコ以来、この旅でNo.2の美しさかも・・・。」などと思いつつ、会計を済ませた帰り、そのおねーさんに手を振ってみると、彼女は笑顔で会釈をしてくれたのだった。それだけでおっさんは、かなりハッピーな気分で宿へと戻ったのだった。

 その後宿で、同宿の西洋人と、31歳人妻だというがどう見ても20代前半にしか見えないフィリピーナと話をし、日記などを書いた後、シャワーを浴びようと思ったのだが水が出ず、「このまま汗臭い体で帰国は嫌やな。」と思いつつ、少し寝て起きた23時位に、シャワーについて宿のおばちゃんに話しをしたところ、「一階で浴びな。」ということで存分にシャワーを浴び、そしてスッキリして再び就寝した。

 明日は3時起き、そして午後には日本、そして倒れたおかんに再会だ。その時が近づくに連れ、おかんが一体どうなっているのだろうという不安がとてつもなく大きくのしかかってくる、しかし、そのことはあまり考えないようにして、僕は眠りについたのだった。

 つづく

この記事は、リンクコラム形式になっており、記事中にも出てくる熊猫師(師)のブログ、「BBB」Beer Beer Beerでは、同時期における、彼の視点から見たアジア旅行について書いています。(アジア旅行編第一便は既に完結。先日、第2便も最終回を迎えました。)楽しんで頂けるかと思いますので、

↓ こちらをクリックして頂いて、
「BBB」 オレたちの深夜特急シリーズ
是非ご覧下さい。

 ※このアジア旅行は1996年から1997年にかけてしたものです。現在の各地の現状とは大きく違うと考えられますので、旅行者の方の情報源とは成り得ないと思います。ご注意下さい。

 
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  1. 2014/02/20(木) 21:32:10|
  2. 俺たちの「深夜特急」|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2

  

コメント

フィリピンか。
興味深いけど、行きたいって思うところではないなぁ。
でも、ボクらはこの国を知っているようで知らないんだね。

記述が、すでにさみしそうな感じだ。
師の心は、すでにフィリピンどころではないのが、よくわかる。
そして、容赦ない嘲笑。
師にあるのは、もはや怒りを通りこし、悲しみさえ感じるよ。

MPツアーの件は懐かしいな。
卒業旅行でごった返していたカオサンで、煙草を吸いながらたたずんでいると、意を決してという感じで学生が「安い宿は知りませんか」と尋ねてきた。
一人に教えると、次から次へと、学生がやってきて、よろず相談窓口みたいになったことがあったよ。
恐らく、MPツアーもそんなニーズがひっきりなしだったと思う。
情報を意のままに操れる状態にあって、胡散臭いこともいっぱいしていたんじゃないだろうか。
だって、胡散臭さがプンプンだったもん。

  1. 2014/03/02(日) 12:55:32 |
  2. URL |
  3. 熊猫 #-
  4. [ 編集]

フィリピンって

 セブ島とかのリゾート目的以外で、観光する名所とかはあまり無いから、観光好き日本人にはあまり人気がないのかなあ。首都のマニラとかは、治安の問題もあるだろうし・・・。

 しかし確かに俺達、フィリピンのことって全然知らないよね。

 なお、ドレッドで笑われるのは、ある意味俺自身でも鏡見て笑ってしまうくらいだったからしょうがないなあとは思ってた。ただ、あの遠慮のない凝視に耐えられなかった。

 後年になって気づいたんだけど、それは日本人との意識の違いだったみたいだ。日本人は他人を凝視するのは失礼という国民性があるけど、彼らにはそういうのはないんだね。

 ただ、当時はそんなこと気づかなかったから、ただただ「失礼な奴らやなあ。」なんて思ってたけど。

 さて、MPツアーだけど、当時は「言葉が全く喋れなくても、バックパッカーとして海外へ行く。」というのが、今思えば全くおかしな「武勇伝」として自慢されていたようなフシもあったから、こういう日本語の通じる店があって、それを求めて日本人が集まってくるという環境が、情報収集の場として求められてたんだろうね。

 それを付加価値としたぼったくり価格だったんだと思う。まあ、日本の旅行会社でたっかい手数料払って海外のお高い宿を事前に手配することに比べれば全然安かったら、一概にボッタクリとは言えないけれど。

 しかし、その後誰もがネットを使えるようになり、無料で情報を得ることができたり、自らが日本語でチケットを入手できるような環境になったが故に、急速にニーズが減少したんだろうね。

 なお、当時も俺達、あのおっさんの胡散臭さを延々と語りあったことがあったような気がする。

 今回、あそこについて調べてみたら、同じように思ってた人もいたようで、同じような感想を抱いてたと書いてるブログページなんかもあって、ちょっと面白かったよ。

 けど、胡散臭い人だったとはいえ、あの人に助けられた人達も一杯いるということも、そこそこ長いことあの商売を出来たことから見て事実だったろうね。

 それにしても今のカオサンってどんな風になってんだろうね。俺はあそこ好きじゃなかったけど、久しぶりに行ってみたい気もするよ。

  1. 2014/03/03(月) 23:06:42 |
  2. URL |
  3. 高鬼 #bBUgYcK2
  4. [ 編集]

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