鬼飛(おにとび)ブログ
パラグライダーで飛んでるおっさんの雑記ブログです

オレたちの深夜特急 一路ネパールへ、地獄の3日間移動 参

 インド、ヴァラナシから長距離バスに乗り、約8時間後の17時頃、ネパールとの国境近くにあるスノウリの町へ到着した僕。早速出国手続きをしようと思ったのだが、その時、自身の体に緊急事態が発生したのだった。



 スノウリに着く少し前位から、腹の具合が非常に宜しくない感じだったのだが、それがここに来てマックスに達し、もういかんともしがたい危急な状況になっていたのである。

 『悠長にトイレを貸してくれるところを探している暇なんてない。』レベルにまで達してしまっていた僕は、街中から荒野のある方向へと、ギリギリの状態を綱渡り的に保ちつつ、早歩きで移動し始めた。

 すると日本人が、そんな方向へ向かっていることが珍しかったのか、何人もの子供達や、更には、暇そうな大人達までもが何故だかついてくるのである。

 苦悶の表情で脂汗を流しながら、「俺は今から野糞をしようと思っているのに、ついてくるんやない!!」と思いつつ、それをヒンドゥー語で言うことはもちろんできないので、弱々しく身振りで「ついて来るなよ!!」とやってみた。が、効果はない。

 もはや彼らを追い払う猶予すらなくなっていた僕は、「もう、ええわ。ついてきたいならなんぼでもついてきたらええ。」と諦め、それらしいところで草むらに飛び込み、ザックを傍らに下ろし、ズボンをズルリとおろしかけた。そこで、彼らはやっと僕が何をしたいかに気づいたらしく、笑いながら離れていってくれたのだった。

 すんでのところで、ダウンタウンのごっつええ感じに出てきた「アホアホマン」のように、パンツを茶色に染めることもなく、僕は改めて爽やかな状態で出国手続きをしに戻った。すると、出国の手続きを待つ列は、長蛇の列へと変わっていたのだった。

 かなり待ってやっとスタンプを貰い、更にそのあたりで両替もしようかと思ったのだが、闇レートで替えるというその辺にいた奴らは、なんか言っていることがおかしな感じだったので、店を構えている両替商でレートを聞いてみると、両替商のほうがレートがいい。

 どおりで闇が変な感じで話しをする訳だと思いつつ、両替商で替えようとすると、今度は両替商はトラベラーズチェックは替えられないという。それならもう闇でいいやと再び外に出てみると、今度は奴らがいなくなっているという始末。結局そこで両替をすることはできなかった。

 まあ、ネパールサイドにも両替できるところはあるだろうと、再び長蛇の列に並んで、今度は入国手続きをする。長く待った後、入国審査官のおっちゃんに、「よーこそ、ネパールへ。」と日本語で言いながらパスポートとビザを渡してもらい、ホテルへと向かった。
 
 途中で無事に両替もでき、(両替中に停電が起きたが、)ホテルでは日本人ばかりが入っているドミトリーに放り込まれ、その後の夕食ではヌードルスープとチャーハンを食べた。昼間あれだけ日本人旅行者のインド料理以外の食事を非難したのにもかかわらず、夕食では自分もしっかりネパール(というかチベット)料理というか中華系の食事をしたのがなんだったが、久々のカレーからの離脱のチャンスなのだからやむを得ないと自分を擁護して食する。

 実際、久しぶりのマサラテイストが入っていない、更には肉と卵も入っている食事はすこぶる美味かった。インドでは安いからという理由でほとんどベジタブルフードばかりを食べていた僕であったが、元来の肉好きには、ネパールで食べる久々の肉料理がすこぶる沁みたのだった。

 満足してホテルに戻った僕はシャワーを浴び、ドミにいた日本人旅行者とちょっと話しをし、一人から地球の歩き方ネパール編を借りて、宿の情報などを少しばかり自分の手帳に書き写した。そして移動二日目は終わっていった。

 翌朝、朝食を食べていると、昨日「歩き方」を借りた兄ちゃんが目の前に座った。改めて話しをすると彼は28歳、石原慎太郎の息子の議員秘書をやめ、旅行をしているという、中々面白い経歴を持つ兄ちゃんだった。

 いろんな人が旅をしてるななどと思いつつ、今度はポカラへと向かうバスに乗り込む。揺られ揺られて数時間、昼食にダルバート(インドで言うところのターリー)を食べ、再び揺られ揺られて数時間。インドの荒涼とした景色から、徐々に林が多くなり、濃い森へと変わり、山が増え、その山が更に高く険しくなっていき、道が曲がりくねり始め、バスの動きが時に怖い事もあるようになってきた頃、家の作りも変わり始め、そして車窓から見える人々の顔つきもまた変わってきた。時として日本人と同じような顔つきの人が見つけられるようになってきたのだ。多分チベット系の方々なのだろう。

 更にバスは山を越え、谷を渡り、河をまたいで数時間。18時頃についに、ポカラへと到着。

 バスの上にある荷物を降ろすのに、バスの上に登ってそれを手伝っていたら、すっかり誰もいなくなってしまってひとりきりになってしまい、町までの距離などがさっぱりわからない状態で、完全に一人で移動する羽目に。「遠いからタクシーがいいよ。」というドライバーの誘いを振り切りながら歩き出す。
 
 しかし、方向も距離もわからずで目標に向かうというのは難しく、何度も何度も途中で人々に教えてもらいながら、やっとポカラのレークサイドと言われる安宿が多い地区へと到着した。

 宿の客引きがとても多く、とりあえず一人の人の良さそうなおじさんの誘いに乗って、宿を見に行ってみる。おじさんは宿のオーナーらしく、彼の家の裏にあるアンナプルナゲストハウスという宿を見せてもらうと、ダブルのシングルユースで80ルピーと値段もそんなに悪くなかったし、部屋も小綺麗で中々いい感じだった。

 しかし、もう一箇所別の宿も見てみることにして、再び客引きの集まる場所で、今度は客引きの運転するバイクに同乗して宿を見に行った。が、先の宿の方が断然良かったので、結局アンナプルナに宿泊することにした。

 改めてチェクインをして、そしてポカラでは有名だというモモレストランに行き、チベット餃子「モモ」とチャーハンを食べた。久々の餃子に舌鼓を打って宿に帰り、疲れきった体を休めるために布団へと潜り込んだ。

 そして僕の3日間に渡る地獄の移動は、やっと終わったのだった。

 
つづく

この記事は、リンクコラム形式になっており、記事中にも出てくる熊猫師(師)のブログ、「BBB」Baseball馬鹿 Blogでは、同時期における、彼の視点から見たアジア旅行について書いています。楽しんで頂けるかと思いますので、

↓ こちらをクリックして頂いて、
「BBB」 オレたちの深夜特急シリーズ
是非ご覧下さい。

※このアジア旅行は1996年から1997年にかけてしたものです。現在の各地の現状とは大きく違うと考えられますので、旅行者の方の情報源とは成り得ないと思います。ご注意下さい。


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  1. 2011/06/04(土) 22:58:57|
  2. 俺たちの「深夜特急」|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2

  

コメント

いろいろ

あったな。
師よ。

さすがにオレは野糞はしなかったな。
でも、パンツやジーパンを茶色に染めたことはあったよ。

しかし、モモ食べたくなってきた。
マサラに疲れた胃にモモは最高だったなぁ。

  1. 2011/07/30(土) 00:26:22 |
  2. URL |
  3. 熊猫刑事 #-
  4. [ 編集]

いやいやいや

 パンツやジーパンを茶色に染める方が厳しいじゃないか師よ。まさにアホアホマンそのものじゃん。(笑)

 で、師がモモ食いたいって書いたから、なんか俺もモモ食いたくなってきたよ。

 調べたら、日本語でモモのレシピがちゃんと見つかった。それにしても、モモにもしっかりマサラテイストが入ってるんだね。

 インドのマサラが強烈すぎたからか、当時モモにもマサラが効いてたとは、全然気づかなかったよ・・・。ほんと偉そうなこと言ってるけど、全く大した口じゃないなあ、俺・・・。

 でも、マサラ味とはいえ完全に餃子だったからなあ・・・。ほんと「中華最高!」って思ったもんなあ、あの時は。

 よーし、今度作ってみるぜ、「モモ」。で、このブログでまたどうだったか紹介するよ。

  1. 2011/07/30(土) 13:06:49 |
  2. URL |
  3. 高鬼 #bBUgYcK2
  4. [ 編集]

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